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思うこと

2013年3月31日 (日)

人の一生と自然

 私の住む町は里山の残る東京のプチ田舎と言った風情である。すぐ近くに緑地があるのでよく散策する。
  自然の中を歩いていると、つくづく人生と重なるものを感じる。その様はまさに子どもが生まれ、ぐんぐん成長していく姿に似ている。
 春が来るとどんな枯れ木も、一つまた一つと新芽を吹いて、萌木色から若葉色へと変化していく。 春山の香りは、生まれたばかりの土の香りと若葉の混ざった様な香りで、畑の春の土とも少し違う香りがする。 湿気を含んでいる様で軟らかく、何となく足裏の感覚も心地よい。
 青々とした若葉は木々を覆い、やがて鶯や時鳥、四十雀、小綬鶏、画眉鳥等々、春の野鳥達が集い一斉に歌い出す喜びの季節 “山笑う” 春は、正に 「箸が転がっても可笑しいお年頃」 の少年少女らの青春期(思春期)だ。
 そして万緑漲る “山滴る” 夏は活力に満ちた青年期と言えるだろうか。
 さらに成長して “山装う” 美しい秋。 人生においても気力・体力共に最も充実した大人の中年期。 特に赤く紅葉した美しい楓などには、着物の似合う40代前後の美しい女性の色香を感じさせます。 でも現代の美魔女とはちょっと違うかな (あくまでも個人的なイメージです)。
 紅葉も少しずつくすんで来て茶褐色になり、末枯れて凋落の兆しを見せると高(壮)年期へと。
 やがて残っていた最後の葉も落として枯れ木の老年期 “山眠る” 冬になる。
 葉を全て落とした一本一本の細い枯枝は、人生を長く生きてきた重みと深さのある人間の顔の深い皺に想える時がある。 最も近年はその様な深みのある皺の老人に出会うことは少なくなった。
 様々なことに耐え、長年生き抜いてきた強さとしなやかさと重厚さを持って、また次に花や実を咲かせる準備をしている。

523midori

若々しい力が漲る春から夏

523aki001
美しく充実の秋

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嗚呼、晩年の冬

 

2013年3月19日 (火)

春の七変化

 昨日は強風雨、今日は夏の陽気。春は様々な顔を見せますね。四季の中で一番感情が動く季節かもしれません。忙しいのは五感だけで無く、“気・心”も忙しい。

 花は街を彩り心地よい香りを放ち、小鳥の囀り、暖かい陽射しは穏やかな心を呼び起こす春。
 何だか分からないけれど浮かれ気分の春。
 霞がかかり、モヤーっとしたグレーの空、身も心もズドンとダル重い春。
 なま暖かく、頭はポワーンと空っぽになり、目はトローンとして眠気を誘う春。
 強風が吹き、砂塵をまき散らし、木々を薙ぎ倒し、街を蹴散らして行く荒々しい春。
 おまけに花粉をまき散らし、花粉症なる病気をつくり、患者を憂鬱にさせる春。
 でも、でも……

 雪が解け、小川が流れ、黒い土が顔を出し、物の芽が出て、物みな “生まれる” 幸せの春。
 色んな春の顔があるけれど、やっぱり幸せの春が一番勝っている。

2012年12月 3日 (月)

自然の美しさは飽きない

 紅葉を見るために電車であっちこち出掛けたが、目の前にあるでは無いか。
 玄関ドアを開け、少し先に目をやると山とは言えない小さな森「トトロの森」(と言われているが、どこにでもトトロの森はある様だ)が、12月に入り大分色づいてきた。濃い赤や黄色が少ないので華やかさには欠けるが、地味だけど野性的な美しさを増してきた。毎日、ドアを開ける度に「ワー、綺麗!」を連発。外出する時も、幸せな心地で一歩を踏み出すことが出来る。とても有難いことと思う。
 それにしても、人間って面白い。どんなに美しい“絶世の美女”だろうが、美男子だろうが、人の美しさにはすぐ飽きるのに、自然の美しさは毎日見ていても飽きることは無い。

Yama02

2012年11月29日 (木)

悩ましい一日

 悩ましい一日が近付いてきました。総選挙です。
 いつの間にか、雨後の筍のように政党が増えてきましたね。最近立ち上げられた政党って、極小政党も全部含めて、何だか胡散臭く感じる政党名が多いと思うんですが……。
 「国民の生活が第一」なんて、あの方達に言われると、何だか詐欺師っぽく聞こえてくるから不思議。本音は、我が生活、我が政治生命が第一なんでしょうねぇ。
 「新党大地」「太陽の党」「みんなの党」「日本未来の党」「みどりの風」…… うーん、どれもこれもみんな怪しい宗教団体と間違ってしまいそう。党を“灯”に書き換えると、いかにもそんな感じがしてくるから面白い(まっ、何も書き換える必要もないんですけどね)。
 とにもかくにも“恐怖の一日”というか悩ましい一日になりそうです。
 国民は言葉には騙されないぞ!



2012年11月24日 (土)

断捨離と唯心思想

 50歳を少し過ぎた頃から生活を見直し余分な持ち物を一つずつ処分し始めた。元々、若い頃から物を持つ方では無かったこともあるが、平均年齢の半分以上を生きてきて、残りの人生を考えてみた時、これからは物を増やすのでは無く、減らしていく年齢になったと感じ、必要最低限の物が有れば十分だと思える様になった。  物の少ない我が家でも、家の中には何年も使用していない物、今後使う可能性は少ないと思える物が結構あるものだ。そういう物を少しずつ処分して、身の回りをすっきりさせていくと何と身軽なことか。
 そんな生活を2年ほど続けた頃、ある日ふと気づいた。何だか心がとても満腹感、幸福感に満ちていく気がするのだ。一つ、又一つ、物を捨てれば捨てる分だけ豊かな気分になっていく。何だろうこの感覚。
 単に物を捨てたからではなく、物を捨てることにより、物への執着心が無くなったのだ。
 「断捨離」という言葉がある。一言で言えば、不要なモノを断つ、捨てる、物への執着から心を離れるということらしい。どうやらそう言うことを全く意識せず、知らず知らずのうちに、「断捨離」的生活になっていた。
 また、私の場合、俳句を通して自然の美しさ、豊かさ、壮大さに触れていくうちに、自分でも気づかぬうちに、唯心思想になっていたようだ。今は、毎夜美しい月や、夕日が見られること、四季折々の草花に出会えることに感動し、有難さを実感できる。
 私の寝室から、寝ながらにして美しい月を眺めることができる。「あー、なんて贅沢だろう」とつくづく思う。
 夜空を煌々と照らす美しい月を仰ぎ見ること、虫の音や小鳥の囀りに耳を傾けること、真っ赤に染まった美しい夕焼け空をまじまじ眺められることに満足できる様になった。
 ほんのちょっとの“不足”が感謝の心を生み、
 ほんのちょっとの“不便”が知恵を生む
 そしてほんのちょっとの“蓄え”があると良い
私には、ほんのちょっとが心地良い。

2012年11月19日 (月)

羊田と紅葉

 昨日は東京は木枯らし一号だったとか。しかし午前中から午後3時頃まではとても良い天気で行楽日和だったので、近くを1時間ほど歩いてきた。
 近くの公園にはほんの一部分だが米が作られており、今は刈り取られた後の羊田がまるで青田の如く奇麗に広がっていた。つい先日まで藁塚だったと思っていたら、何時の間にかすっかり景色が変わっていた。時の経過は早い。
 公園に隣接する森の木々の葉も赤や黄色に色づき、太陽の光を受けて一段と濃さを増しとても美しい光景だ。写真は、まるで別物に見えるが、同じ日の同じ公園内。
 紅葉はちりかかっていないが、蕪村の句に素敵な句を見つけた。

ひつぢ田に紅葉ちりかかる夕日かな   蕪村

Hituzita_2

Kouyou

2012年11月15日 (木)

日本人と富士山

 今朝起きて窓を開けて外を見たら、畑は一面ほの白く初霜が降りていて、寒かったですが、空気がきりっとして遠くの山も富士山も綺麗に見えました。これからの季節は雪を被った富士山が見える日も多くなり、楽しみが増えます。勿論他の季節にも雪の無い富士山は見える日もあるんですが、やはり富士山には雪が一番似合いますね。東京在住の私にとっては、真白き富士の嶺が見える日は何だか一日の始まりを気分良く過ごせる様な気がして、見える日は“良き日”なんです(笑)。大袈裟に言えば、見えるか見えないかで今日の一日を占うような気持ち。地元の人にとっては、そこにあって当たり前、あるべき物なのでしょうね。
 そう言えば、友人に聞いた話なんですが、山梨に行ったときに、たまたま曇っていて富士山が綺麗に見えなかったそうです。そうしたら地元の人に
「遠くから来てくれたのに、ごめんなさいね! こんな富士で」
と謝られたそうです。
 その言葉を聞いて友人は、地元の人にとって、富士山は、本当に「おらが富士」で、誇りなんだなぁーと、感じ入ったそうです。
 富士山と満月と桜は、日本人にとって格別ですね。何故か、富士山と満月は手を合わせたくなるんです。これって、日本人の“心”でしょうか。でも、私は恥ずかしいので心で手を合わせています(笑)。

Huzi

2012年11月12日 (月)

カワセミと猫のツーショットの筈が……

 過日、といっても4、5ヵ月前のことだが、めったに無い大チャンスを逃してしまった。
 近所の公園には時々翡翠(カワセミ)がやってくる。まさに文字の如く羽が翡翠(ヒスイ)色をしてお腹がオレンジ色をした美しい小さな鳥だ。この公園でカワセミに遭遇すること自体は左程珍しくは無いが、頻繁に遭遇するという程でも無い。
 そのカワセミが、我が居住地の駐車場にある桜の木に止まっているのを発見。これはめったに無い大チャンスと急いでカメラを抱えて外に出た。
 ところが、である。カワセミの背後に近所の無頼派の猫が(私が内心勝手にそう呼んでいる)、獲物を狙う目で一歩また一歩と近づいている。普段、この猫には、その行動観察で楽しませてもらっており、私の人生に潤いを与えてくれているので、そう邪険にも出来ず、取り敢えずはキッと睨みをきかした(つもりだ)。ところが、迫力不足のせいか、逆に睨み返してきた。普段は、目線が合うと、「フン、何だ」と言わんばかりに、そっぽを向き、お尻をむけて去って行くのに、この時は目線を逸らさないのだ。しばし猫と睨めっこ。
 おっと、こんな事している場合じゃない。カワセミの写真を撮らねばと私の方が目線を逸らした。結局私の負けだ。私は急いでカメラを抱え、シャッターを構えようとしたその瞬間、カメラに気づいてか、猫に気づいてかカワセミは飛び立ってしまった。 なんと言うことだ。 折角間近でカワセミの写真を撮れるチャンスだったのに……。 こんなことなら、カワセミに拘らず、いっそのこと、猫とのツーショット写真を撮れば良かった。そして、タイトルを「カワセミの背後に迫る恐怖」と言った、珍しい写真が撮れたかも~~。(と言ってもそんなに接近していた訳でも無かったけど)。返す返すも残念!
 こんなチャンスはもう二度と無いかも知れない。もしかすると、宝くじを当てるほどの確率? だったかも……。
 あっ、写真を撮ったら勿論カワセミさんは逃がしてやるつもりでしたので、ご安心あれ。

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2012年11月10日 (土)

曖昧な季節感

 歩くことが大好きなので、今日の様な好天に恵まれると、じっとしていられずお散歩に。2時間半ほど歩いてきた。
 最近、歩いていて気になるのは植物の季節感が無くなって、今何月? とおかしな気分になってくる。いまだに朝顔の花が奇麗に咲いている。朝顔といえば私の中では絶対夏なのだ。その他、白粉花、カタバミ、等々も咲いていた。ススキやミズヒキの近くに夏の花が咲いているのも何だか不思議な感じだ。
 スーパーに行けば、西瓜もある。西瓜と言えば夏、夏と言えば西瓜なのだ。大好きな西瓜でも寒くなると何故か食べたいとは思わない。植物も食物も、今は一年中何でも揃う時代になったけれど、私は古い人間なので、体が自然と季節のものを求めている。

  

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