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古き良き時代の想い出

2013年12月23日 (月)

床下の侵入者

 やはり昭和40年代のボロ家での、ちょっとしたミステリーな珍騒動の思い出を一つ。
 ある冬の夕刻、正確な時間は記憶していませんが、まだ7時にはなっていなかったと思う。母は台所にいて、私と妹はテレビを見ていた。すると縁側の方から、
 「ウゥ~、ウゥ~。 ゲッ、ゲッ」
と、低い不気味な声が聞こえてきた。私と妹は互いに顔を見合わせて
 「今、何か変な声がしたよねぇ」 「うん、聞こえた」 
私はそーっと破れ障子を開けて、耳をそばだてて縁側の様子を窺った。 するとまた、「ウゥ~、ウゥ~」 ガサッ、ゴソッと縁の下から断続的に聞こえてくる。 音の位置を確認して、妹に小声で、 「ココ、此処の下から聞こえる」 と言って、縁側に立っていると、私の立っている丁度足元の真下の床板が、下からグッと押し上げる様に、フワッと軋んで浮き上がった。
 「ワッ、ワ~、床が動いた」
私は慌てて飛びのいた。 その何とも不気味な足元の感覚。今でも思い出すことが出来る。
 間違いなく何者かがいる。 私はきっと酔っぱらいが嘔吐しているのでは? と推測した。 母に、「お母さん、縁の下に誰かおる。 見てこよう。」と言って二人で様子を窺いに外に出た。 母は懐中電灯を捜したが見つからず、私は用心のために棒切れを持ち、声のした縁の下を除き込んだ。 縁の下には、お風呂を沸かすための練炭や薪木が収納してある。 田舎の冬の夜は真っ暗で中はまるっきり見えない。 しかし何かいる気配は感じる。
 縁の下に向かって母が 「そこにおっとは、だいね(誰ね)」 と声を掛けたが返事は無い。
 程無くして車が近づいてきたので、車を止めて事情を話し、車のライトで縁の下を照らしてもらった。 すると、車のおじさんが
 「うんにゃ、こりゃ、ふっとか犬が」
何と、そこには、実に大きな真っ黒い犬が。
 「わー、ふっとか~」 と驚き、かつ笑いながら、ホッと胸をなでおろして家の中に入りました。
 犬の方もきっと怖かったのでしょう。怯えた様な目でこちらをジッと見つめていました。 具合でも悪かったのだろうか。
 翌朝見た時には既に居なくなっていました。 ある冬の夜の珍事件でした。

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2013年12月22日 (日)

レトロなボロ家の思い出

 先日街を歩いていたら、男性二人連れが「おっ、あそこにいい雰囲気のレトロな家がある。ああいう家を見るのはたまらない。見に行こう」と言いいながら、通り過ぎて行った。

 ふと、子供時代の家を思い出した。
 昭和40年代、古いというだけなら、その頃の我が家は周囲の家に比して既にレトロだった。
 台所は土間になっていて床は土のままだったか、スノコの様な板が敷いてあった様な、そのあたりの記憶が定かでない。流しは確かコンクリート製?(人研ぎ石というらしい)で蛇口が一つ。台所に立つのにいちいちツッカケを履いて土間に降りなければならない。
 近頃は、敢えて土間を作る人もいるらしい。
 何よりレトロの極みはお風呂で、何とまだ五右衛門風呂だった。 台所の土間の隅に、お風呂を沸かすための釜戸があって、湯沸しの火をおこしをよくさせられた。 竹筒の火吹きでフーフー火を吹いて、煙たくて涙が出たりして本当に大変だった。 台所の天井や壁は煤で真っ黒だった。
 
 部屋の壁は土壁で、剥げてポロポロ落ちてくる、雨戸板は破れや穴ポコだらけ。玄関ドアはガラス性でガラスの一部が破損していて施錠しても余り意味が無い。今思うと何と物騒な。
 雨が降ると多数箇所から雨漏りがする。雨漏りというのは、1箇所だと落ちてくる雫の音が何となく淋しいものだが、沢山だと笑える。バケツ、ボール、洗面器、薬缶等々、有りったけの器が落ちてくる雨を受け止めて活躍してくれた。其々の容器が奏でる音はまるでメロディーの様で 「ワー、音楽だ~」 と言ってはしゃいだ。それでも容器が足りなくて、「傘をさした方が早いね」 と、冗談を言って笑い合う。
 そんな貧しくも大らかで元気な明るい昭和の子ども時代をそれなりに楽しんで過ごした。
 今は懐かしく面白い経験だったと思う。

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2013年7月27日 (土)

昭和の夏の思い出

 たらい桶の中で冷やされた西瓜。 ちょろちょろとお水を垂らしながら一定時間おいて冷やす。 現代の様に決してキリッと冷たい訳ではないけれど甘くておいしかった。
 縁側に腰掛けて西瓜に顔を埋める様にしてかぶり付く。口の周りを西瓜の汁だらけにして、行儀が悪いが庭に種を飛ばしながら食べた。 種を庭に捨てれば西瓜が出来ると思っていた(笑)。

 そしてアイスキャンディー売り
 チリン、チリン、チリン♪
と涼しい音が聞こえてくると、俄然子供の心は熱くなる。
 「あっ、キャンデー売りが来た~」
急いで5円(10円?)硬貨をギュッと握りしめて、鐘の音のする方へ駈けて行く。息をきらしながら
 「おじちゃん、いちごキャンデーちょうだい」
 「あたしもいちご」 「あたしも……」
やはり、子供には、特に女の子には、いちごが一番人気だった様に思う。
 もう、あのスタイルのアイスキャンディー売りに遭遇することはないだろう。
 甘くてちょっぴり涼しさの漂う昭和の夏の思い出。

2013年7月18日 (木)

里芋畑でつかまえて

 どこかのタイトルをパクった様なタイトルになりましたが、さて、里芋畑でつかまえた物は何?……
 あれは4、5歳くらいの夏の日こと。 この頃暮らしていたところは、山と川と田園の広がる自然豊かな農村地域。 私の遊び場はもっぱら山と畑だった。 とりわけ牛車に乗るのが楽しくて、近所の小父さんが畑に行く時はいつも
 「じやん、くいまにのっしゃい(爺さん、車に乗せて)」
といって畑について行く。 爺さんも畑に行く時には、「行っか?」 と私に声をかけて乗せてってくれる。 畑で遊ぶのが大好きだった。
 夏の畑にはトマト、なす、きゅうり、玉蜀黍、里芋、南瓜、西瓜もあったかなー。 遊びまわってお腹がすくと、トマトやキュウリをもいでそのまま丸かじりする。 甘いお菓子などは縁が無かったけれど、今思うと最高の贅沢だったかも知れない。

 さて、前置きが長くなったが、その日も畑で遊んでいた。 ひとしきり遊んだ後、家に帰ろうと里芋畑 (蜀黍畑かどちらか記憶が定かでないが) を歩いていると、私の前に一匹のハチが飛んできた。 暫らくハチをじっと見ていたが、何を思ったか、私はそのハチをひょいと片手でつかまえた(ホントにお馬鹿)。
 「あ、あ痛~~ッ!」 
チクチク、ヒリヒリ、痛い! 泣きそうになった。でも泣けない。自からハチに挑んで泣く訳にいかない。 泣きそうになりながら家に近づくと、玄関から出てきた曾祖母(この頃は、曾祖母のことを“ばっばん”と呼んでいた)が出てきて、すぐ私の表情に気付き、
 「どげんしたとか?」 と近づいてきた。 
 「ハ、ハチに刺された」 と泣くのを堪えながら応えると、ばっばんは、私がまた何かやらかしたと思ったのか
 「なんごて、また……」 と聞いてきた。
 「ハチをつかまえたら、刺された」 
 「・・・・・・」  ばっばんは、あきれ顔で
 「ほんのこて(本当に)、お前は、馬鹿なこっばっかい……。」
ほんのこてに力が入っていた(笑)。
 すぐさま、ばっばんは、「芋がらん汁をつければ治る」 といって、水道で手を洗ってくれて、里芋の茎の部分の汁を抽出して患部に塗ってくれた。 “ばっばんの知恵袋” である。 こんな民間療法が一般的に通用していたかどうかは知らないけれど、 私には効果てき面だった。 里芋の抽出汁以外は何の手当てもしなかったけれど、 直ぐに治癒したと記憶している。
 ばっばんと私だけが共有する昭和のある日の一コマである。

2013年7月16日 (火)

疲れ知らずで、危険がいっぱいの昔の子

 最近の子供は木登りや、ブランコを漕ぎながら高い位置から飛び降りるという様な危険なことはしないんでしょうね。 
 お馬鹿でお転婆な私は、木登りでは飽き足らず、高い場所なら何でも登っていた。鉄棒、雲梯。細い鉄棒の上に立って綱渡りの要領でひょいひょいと渡って歩く。バランスが結構良かったんですねー(笑)。そして雲梯。これも本来ぶら下がるものだが、それではつまらない。やはり棒の上に登って端から端まで一本一本渡りきる。一番上は鉄棒よりは高かったと思うが、これが一度も落ちたことも怪我したことも無かった。サーカス団員の素質あり?(笑)
 極めつけは橋の欄干。小学校の低学年の頃だったか、曾祖母に妹と二人連れられて銭湯に行く途中だった。うろちょろしながら騒いでいた私が、橋にさしかかった時、急に静かになったので、曽祖母がどうしたのかと後ろを振り向くと、私は橋の欄干によじ登り、平均台の如く2歩、3歩と歩き始めていた。 曾祖母が悲鳴に近い引きつった声で 「何、しょっとかー、こん子はー」 と大慌てで私を抱きかかえて下ろした。
 あの時の曾祖母の声を今も良く覚えている。 大好きだった曾祖母を殺す気など無いが、心臓が止まりかねない程のことを幾度となくやってしまった。 今にして「ごめんなさい!」である。
 昔の子供には疲れなど無かったが、危険がいっぱいだった。

2013年3月22日 (金)

仏の座の群生

 今年は何故か、我が家の北側の休耕の畑1枚分に、仏の座の花が見事に群生している。昨年までは見なかった光景だ。玄関ドアを開けるパッと視界に飛び込んできてとても綺麗だ。ふと子供の頃遊んだ蓮華草畑を思い出した。
 田舎育ちの子供にとって山や川や畑は格好の遊び場だった。茶畑、里芋畑、砂糖黍畑はかくれんぼうには持って来いの畑で、私にとっては蓮華草畑もその一つだった。一面に広がった蓮華草畑を駆け回り、倒れ込む様にゴロンと寝っ転がると小さな子供は完全に隠れてしまってどこにいるのか全く見えないのだ。南国なのでそんなことが出来るほど、茎の長さも他の地域よりも高かったものと思う。 今にして思うと蓮華草畑は自然発生的に群生した訳ではなく、緑肥の為に農家の人がわざわざ種を買って蒔いていたのだろう。お金と労力がかかっていることを思うと、花を摘み取って首飾りを作ったり、踏み荒らして寝転んだり、子供の罪の無い事とは言え、何と贅沢な遊びだろうと今さら乍ら思う。
 大人たちも誰も咎める人はいない。寛大だった。しかし怒るべき時はちゃんと怒る。子供が子供らしく、大人が大人らしい時代だったと思う。

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2013年1月 5日 (土)

真つ新の護謨鞠弾む年新た

 真つ新の護謨鞠弾む年新た

 子どもの頃は、本当に貧しい我が家でしたが、それでも新年になると子供らに細やかな何らかのプレゼントをしてくれました。手袋や靴下であったり、セーターであったり、中でも一番高級だったのはジャンパーだったかもしれない。今思うとあれは明らかに男の子用だった。青色で背中に派手な絵が書いてあったが、どんな絵だったかは記憶にない。「ワー、こんな高そうな物を貰えるなんて」と信じられない程嬉しかった。
 しかし、高級なジャンパー以上に今も心から離れないのは何故か護謨鞠なのです。何の絵柄も無い少し赤を濁した様な色の護謨鞠。多分一番安い、駄菓子屋さんか、文房具屋さんなどに吊るされていた様な記憶もあるが、そんな只セロファンに包まれただけの護謨鞠を貰って、嬉しくて胸に抱え込んで直ぐさま外に駆け出し、鼻水を垂らしながらいつまでも手鞠をついて遊んだ。最初は汚すのが勿体ない気がしてセロファンをつけたままついてみてから、ゆっくりセロファンを剝す。セロファンのカサカサと言う音が今も聞こえてくる様な気がする。

2012年11月12日 (月)

秋想う

 夏が過ぎ、秋風を感じる頃の清浄な空気は、何となくもの寂しさを覚えると同時に、懐古的な気分になる。
 実り豊かな秋は梨、柿、葡萄、栗等々甘い果物の香りが満る。そしてそれらの果物の香りは私にとっては運動会の思い出を甦らせる。
 梨を剥く手に豊かな水分が滴り落ち、ベトついた手で美味しそうに梨をほおばる。私は、頭に鉢巻を結び、白い半袖シャツに黒のブルマース姿である。仲良しの家族と隣り合わせの茣蓙で一緒にお弁当を食べる。お弁当の中身は、花びらの様な桃色の花でんぶが入った巻きずし、稲荷ずし、卵焼き、落花生の塩茹で、煮物類もあった。オー、何とゴージャス。
 しかし、今思うと、母子家庭で、子ども5人を抱え、赤貧の我が家でどうやってこれだけの物を調達出来たのだろう。考えてみれば、毎年の運動会、遠足、修学旅行と5人全員、人並みのことはしてもらった。
 後年、借金で苦しむ母に、幾度か返済の協力をして、「どうして、いつからそんなに借金があるの。一体何に使ったの?」と20代前半の私は問い詰めた事があったが、今思うとこういった日常生活の積み重ねに必要だったのだろう。
 甘く美味しい思い出の裏には、母の辛い苦い思いが隠されていたのかも知れない、などとふとそんな事を思う今日こ頃だ。

2012年11月11日 (日)

危険な遊び/線路の想い出

「思えば遠くへ来たもんだ」 の一節
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踏切のそばに咲く コスモスの花ゆらして
貨物列車が走り過ぎる そして夕日に消えてゆく
十四の頃の僕はいつも 冷たいレールに耳を当て
レールの響き聞きながら 遥かな旅路を夢見てた
<略>

 この一か月半くらいで、偶然三回もラジオからこの歌が流れてきた。武田鉄矢さんの歌の中で私が一番好きな歌だ。
 この歌を聞くと何となく郷愁に誘われ、幼い頃住んでいた田園風景と線路での危険な遊びを思い出す。
 3歳~5歳くらいだったろうか。その頃住んでいた農村地域の畑の近くをローカル線が通っていて、線路に寝転がり、歌詞の様にレールに耳を押し当ててレールの響きを聞いたりしていた。
 ある日、曾祖母が畑仕事をしている時、暫くは近くで土いじりをして遊んでいたが、それに飽きた私は、線路の枕木に座り込み、敷き詰めてある小石をかき集めてまるで砂山の様に積み上げて遊んでいた。畑仕事をしながらチラチラ私の様子を窺っていた曾祖母は、血相を変えて飛んできて

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2012年11月 1日 (木)

夢と希望の都、華の東京

 九州の片田舎で育った私は幼い頃から東京に憧れていた。
今の時代は東京と地方の格差は感じられないが、昔は東京は夢と希望に溢れる街、夢が叶う街というイメージがあった。
 そんな私が青春時代に、好きで良く聴いた歌がマイペースの「東京」。
 この歌の内容は、今でいう遠距離恋愛の歌だが、なかなか東京へ行く夢を果たせず、田舎で燻ぶっていた私の耳に飛び込んできた歌詞
   いつもいつでも夢と希望を持って
   君は東京で生きていました
   君が住む美しい都
   君が咲く華の東京

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